>>ホーム >>水心流の歴史
戦国時代から安土桃山時代の土佐の戦国武将、 長宗我部元親が、天正13年(1585年)に 長宗我部家に伝わっていた精参流(居合い・剣術)を、 「時世時節、水の方円の器に従うごとくなる可し、以後我家の武道を水心流と改める」として、 [水心流]と名称を改め残したと言われています。
水心流初代宗家長宗我部親泰 霊華先生
長宗我部元親公が、水心流と名づけた剣術(居合い)を基礎とし工夫したものを、 第12代重親が習得し、15代目の子孫、長宗我部親(ちかし)氏がこれを刀流の基として学び、 剣詩舞という新しい流れを創り、明治初期(明治維新後)に、「水心流」として創流されました。 戦国時代の大名、長宗我部元親が「水の方円の器に従うごとくなる可し」として残した「水心流」は、剣術から姿を変え、受け継がれています。 初代宗家:長宗我部親(故) 二代宗家:岡霊鳳(故) 三代宗家:田中霊凰(故) 四代宗家:田中霊凰
初代宗家 長宗我部親(泰 霊華)先生 直筆
二代宗家 岡 霊鳳
三代宗家 田中 霊凰